気づけば、誰かと自分を比べている。
SNSで誰かの近況を目にしたとき。
同年代の活躍を聞いたとき。
身近な人の何気ない言葉に触れたとき。
そんなつもりはないのに、比べてしまう。
「人と比べてしまうのはなぜだろう」
そう感じたことはありませんか。
なぜ私たちは、こんなにも他人と比べてしまうのでしょうか。
人と比較してしまうこころの働きについて、考えてみたいと思います。
人と比べて落ち込むのはなぜか
私たちは関係の中で生きています。
人は、完全に一人で自分を理解することがむずかしい存在です。
そのため、周囲との違いの中で自分を理解しようとすることがあります。
それが、他者との比較です。
自分がどこにいるのか。
社会の中でどの位置にいるのか。
それを確かめるために、人は自然と周囲を見ます。
比較は、人が社会の中で生きていくために備わっている
自然なこころの働きでもあります。
ただし、比較が続くと
こころの中で別の問いが生まれることがあります。
「私は大丈夫だろうか」
「あの人と比べてこのままでいいのだろうか」
この問いが強くなるとき、
比較は安心を探す働きから自分を評価する視線へと変わっていきます。
なぜ私たちは他人と比べてしまうのか
比較は、いくつかの心理から生まれます。
1. 自分の位置を確かめたいこころ
人は、自分の価値を完全にひとりで測ることが難しい存在です。
そのため、ときどき周囲を見ながら
「自分はどこにいるんだろうか」と、相対的な位置を確認する傾向があります。
これは、社会の中で生きていくためのこころの自然な働きでもあります。
2. 安心の基準を探している
人は、安心の基準を探します。
誰かと比べて、「これくらいなら大丈夫」と感じることで
こころが落ち着くこともあります。
比較そのものは、必ずしも悪いものではありません。
ただ、その比較が続いてしまったとき、こころが苦しくなります。
3. 理想の自分との比較
比較は、他人との間だけで起きるわけではありません。
もうひとつの比較があります。
それは、理想の自分との比較です。
「本当はこうありたかった、こうなるはずだった」
「もっとできると思っていた」
この距離が見えるとき、こころは強く揺れることがあります。
臨床でも、現在の自分と理想の自分のギャップが大きく感じられるとき、
自分を厳しく評価してしまう方は少なくありませんでした。
こうした背景には、完璧主義の傾向が関係していることもあり、こちらの記事「完璧主義をやめたい人へ」でも触れています。
人と比べてしまうときに起きている3つの心理
比較が苦しくなるとき、
こころの中ではいくつかの動きが重なっています。
1. 劣等感
誰かの成果や評価を見たとき、
自分の不足ばかりが目に入ることがあります。
そのとき比較は、
自分の価値を下げる視線になりやすくなります。
2. 人生の時間軸への焦り
比較が強くなるのは、
人生のイベントがきっかけとなることがよくみられます。
進学
就職
結婚
キャリア
こうした節目では、同年代の動きが見えやすくなります。
すると、人は自分の時間の進み方を意識し始めます。
「自分は遅れているのではないか」
その焦りが、比較を強めることがあります。
3. 自己評価の揺れ
比較が続くと、自分を見る基準が外側に移りやすくなります。
評価
成功
周囲の反応
それらが、こころの中の評価の基準になります。
このとき人は、
自分の価値を外側の評価で測ろうとしやすくなります。
ただ、外側、他人の評価基準で自分を測り続ける限り、
こころは不安定になりやすくなります。
こうした揺れは、自分と他人の境界が曖昧になっているときに起こりやすくなります。
境界線を整えることで、比較との距離を少し変えることができます。
日常の中でできる具体的な整え方については、こちら「嫌われるのが怖いときー人間関係の境界線を整える小さなセルフケア」でまとめています。
比較が苦しくなるときにこころで起きていること
比較が続くとき、
こころは安心を探し続けていることがあります。
「自分は大丈夫だろうか」
「このままでいいのだろうか」と、何度も考えてしまったり、
漠然とした不安が続くこともあります。
こうした不安は、はっきりとした理由が見えないまま続くこともあります。その背景については、
こちらの記事「理由もなく不安になるのはなぜ?」で整理しています。
人と比べてしまうのをやめたいと思うとき
「もう比べたくない」と感じる瞬間があります。
それは、多くの場合、
比較が自分を理解するための視点ではなく、
自分を責める視線に変わってしまったときです。
誰かとの違いを見たときに、
違い
↓
評価
↓
自己否定
という流れが生まれると、こころは少しずつ消耗していきます。
「自分は足りていないのではないか」
そんな問いが繰り返されると、比較は自分を知る手がかりではなく、
自分を追い込む仕組みのように感じられてしまいます。
また、比較が続くとき、
人は知らないうちに、自分の人生を他人の物差しで測るようになります。
本当は何を大切にしたいのか。
自分はどんな生き方を望んでいるのか。
そうした問いよりも、
「他人と比べてどうか」が先に立つようになる。
大切なことは、比較を完全に消そうとすることではなく、
その比較がどんな問いから生まれているのか、
と比較の意味を見つめることなのかもしれません。
比較は、誰かとの競争というより、
自分の人生を確かめようとするこころの働きなのかもしれません。
比較をやめる必要はない
比較してしまう自分を責める人もいます。
けれど、人と自分はそれぞれ違う時間を生きています。
歩く速さも、進む方向も、人生の形も同じではありません。
他の人の生き方に、自分のすべての価値を預けなくてもいい。
少し自分の評価基準を大切にしてもいい。
そう思えるとき、比較との距離は少し冷静にみることができるかもしれません。
まとめ
人と比べることを完全になくすことは難しいものです。
それは、人が社会の中で生きるための自然な働きでもあるからです。
ただ、比較が苦しくなるときには
・自分の価値を確かめようとしている
・人生の時間軸を意識している
・理想の自分との距離を感じている
こうした心理が重なっていることがあります。
比較そのものが問題というより、
そのときこころがどんな問いを抱えているのか。
そこに目を向けることが、
自分を理解する一つの手がかりになりえます。
もし今、誰かと自分を比べてしまっているときには、
「私はいま、どんな物差しで自分を測っているのだろう」と
少しだけ立ち止まってみてもいいのかもしれません。

